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コラム「研究員のココロ」

見直しを求められる第三セクターの意義・役割

2008年10月10日 小長井由隆


 近年、第三セクター(以下「三セク」)に関する報道が目立つ。2001年のフェニックスリゾート、2003年のハウステンボス、WTC(大阪ワールドトレードセンタービルディング)など、大型の破綻が取り沙汰されている。また、「地方公共団体財政健全化法」により、三セクへの損失補償も将来負担額として自治体財政の健全化指標に組み込まれることになったことから、三セクの負債が地方自治体財政に及ぼす影響への関心が高くなってきた。
 一連の新聞やテレビの報道をみると、三セクとは、無計画、放漫経営で無駄が多く、借金だけを生み出している企業であるような印象を受ける。そのため、一般には世の中の全ての三セクに存在価値がないかのようなイメージもある。しかし、官民共同出資による株式会社の三セクには、本来、明確な意義と役割があったのではないだろうか。

第三セクターの初期の役割

 わが国の最初の三セクは1913年(大正2年)に設立された佐渡汽船株式会社といわれている。しかし、今日の三セクの概念は、「新全国総合開発計画」(1969年閣議決定)にその出自がうかがえる。

「大規模開発プロジェクトの事業主体については、資金の調達、事業の実施等の面で効率的推進が図られるような組織とする必要がある。このため、たとえば、産業開発プロジェクト等においては、プロジェクトの中核的な事業の実施主体として公共・民間の混合方式による新たな事業主体を創設して民間資金の導入を図る方式、進出予定の民間企業が共同して設立した新会社による方式、これに民間ディベロッパーの参加を求める方式等大規模開発プロジェクトの内容に適合した方式を検討する」(新全国総合開発計画)

 また、「第三セクター」という用語が初めて公文書に登場したのは、「経済社会基本計画」(1973年経済企画庁)である。

「社会資本を緊急に整備する必要があること、民間の社会資本分野への進出意欲が高まりつつあること等にかんがみ(中略)事業の公共性を確保する必要があるとき、または、多大の初期投資を要し、投資の懐妊期間が長い事業等に対し(中略)公私共同企業、いわゆる第三セクターの活用をはかる」(経済社会基本計画)

 つまり、今日の意味での三セクの初期形態は、社会資本の緊急整備を目的として、民間企業の効率性を備えつつ、長期にわたる事業継続を担保する「公共性」確保のための官民共同企業であった。したがって、この時期の代表的な三セクの事例は、臨海に巨大なコンビナートを開発したむつ小川原開発株式会社(出資自治体:青森県)、大規模な工業団地を造成した苫小牧東部開発株式会社(出資自治体:北海道、苫小牧市等地元自治体)などである。しかし1974年と1978年の2度のオイルショックにより産業構造が大きく変化し、工業団地等をはじめとする社会資本整備型の三セクは次第に減少していった。

第三セクターの役割の変化

 しかし、1980年代に入り三セクの設立数が再び増加する。当時、いわゆる東京一極集中の傾向が顕著になり、地方における人口減少と雇用機会の減少への対策としての地域活性化を迫られてきたこと、また、第二次臨時行政調査会(第二次臨調)答申などにより、政府が経済活性化と公的サービス提供に民間活力導入を進めたことが背景にある。
 民間活力による経済活性化の代表的な施策は、1986年の「民間事業の能力の活用による特定施設の整備促進に関する臨時措置法」(民活法)と、1987年の「総合保養地域整備法」(リゾート法)である。民活法、リゾート法は、三セク事業者に対し、各種規制の緩和、建設費補助、税減免措置などの優遇措置を与えたため、全国各地にテーマパーク、リゾート施設、ホテル、商業施設などの三セクが設立された。
 一方、1980年に制定された「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」(国鉄再建法)による赤字路線の整理も、地方鉄道三セクの設立を促進した。同法により、いわゆる国鉄赤字ローカル線が廃止または転換の対象となり、転換路線の中には沿線自治体が出資をした三セクが運営の受け皿になったものもあった。赤字ローカル路線の転換路線は、従来公的サービスであった国有鉄道事業が、民営(JR各社)と三セク(官民共同出資)に代わったという意味で、公的サービス提供への民間活力導入の一形態であるといえる。
 1980年代に設立された三セクの代表的な役割は、民間活力導入による地域振興・地域活性化と、公的サービスへの民間活力導入の受け皿であった。特に前者の民活型地域振興のための三セクは、折からのバブル景気による開発ブームに乗って全国に設立され、その影響により三セクの設立数は1992年まで増加し続けた。

1990年代後半~2000年代の第三セクターの役割

 バブル経済崩壊後の1990年代後半には、開発型ではなく、地域の商店街や商工会が中心となったソフト事業により空洞化した中心市街地を再生しようとする動きが活発化するとともに、住民が主体となった地域発のビジネスの動きがでてきた。
 1998年に施行された「中心市街地活性化法」(2006年に改正)に基づき、全国に中心市街地活性化を推進するまちづくり機関(TMO)が設置された。TMOは商工会議所、商工会、三セクのいずれかの形態である必要があったため(2004年よりNPOでも可能となった)、1998年以降三セク形式のTMOが数多く設立された。2006年6月時点では、全国のTMO423団体のうち三セク形式のものは123団体に及んでいた(株式会社都市構造研究センター調べ)。中心市街地活性化法の改正により、活性化の推進は中心市街地活性化協議会が行うことになったが、全国のTMO団体は引き続きまちづくり機関としての活動を続けている。
 また、住民主体の地域発ビジネスを三セクの形態で行う事例も1990年代から増えている(株式会社四万十ドラマ(1994年)、株式会社ア・ラ・小布施(1995年)、株式会社いろどり(1999年)など)。これらの事業者は、伝統的建造物を利用した観光事業や特産品の販売など、地域資源を活用したビジネスを住民が主体となって行っていることが特徴である。

見直しが求められる第三セクターの意義・役割

 各時代における三セクの代表的な役割は、1970年代の社会資本整備のための大規模開発プロジェクトの推進から、1980年代以降には民間活力導入による地域振興と公的セクター民営化の受け皿へと変化し、1990年代後半からは中心市街地活性化や住民主体の地域発ビジネスの推進に活用されるようになってきた。
 各時代において、三セクは官民協働の仕組みとしての役割を担ってきた。しかし、近年は、PFIや指定管理者等、官民協働の新たな仕組みが整備され、従来では三セクによって実施されてきた事業でも、別の手法を選択することが可能になった。例えば、施設整備・維持管理の資金調達と運営を民間に委託することはPFIで、施設運営を民間が代行することは指定管理者制度で対応可能である。また、NPO法により自治会や市民団体などがNPO法人となり、自治体が協力して地域課題の解決にあたっている事例もある。
 官民協働のスキームが多様化している現在、現存する三セクよりも適切な手法が存在する場合は、三セクの意義・役割が終わったと判断すべきであり、三セクを解散し、他の手法に移行することを検討することも必要である。
 また、設立当時において、官の関与に必然性があったかを検証する必要もある。特に1980年代の民活型地域振興三セクの中には、補助金や無利子融資を得ることが自己目的化し、官の関与の妥当性を十分に検討することなく三セクを設立したと思わざるを得ないものも散見される。
 総務省が今年6月に出したガイドラインによると、自治体は平成20年度に外部の専門家を入れた経営検討委員会(仮)を設置し、経営が著しく悪化したことが明らかとなった三セクについては、21年度中に改革プランを策定することとされている。三セクの改革が求められている今こそ、自治体は三セクの役割を根本的に見直し、官民連携のパートナーとして真に必要な三セクを見極めることが必要である。

※本稿は、2008年10月21日(火)(大阪)および10月27日(月)(東京)に開催予定の弊社セミナー「財政健全化に向けた地域経営セミナー」三セク再生分科会の発表原稿をもとにしている。当日は具体的なデータを使った三セクの評価方法についても発表する予定であり、三セク問題にご関心のある多数の方のご来場をお待ちしている。
 セミナーの内容および申し込みは下の「関連リンク」を参照されたい。


参考文献
・[1972].『新全国総合開発計画』1972年一部改訂版
・今村都南雄[1993].『「第三セクター」の研究』中央法規
・事業再生実務家協会公企業体再生委員会編[2007].『地域力の再生』きんざい
・高寄昇三[2002].『コミュニティビジネスと自治体活性化』学陽書房
・小坂直人[1999].『第三セクターと公益事業』日本経済評論社
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