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ソーシャルメディア時代に求められる「透明性」

2011年04月19日 井上岳一


今回の震災は、津波の恐ろしさのみならず、原発の恐ろしさをも知らしめるものとなった。被災地の悲劇に慄き、被ばくの恐怖にも脅えるという経験は、未曾有のものである。

東電や政府は首都圏にパニックが起きることを何よりも恐れたのだろう。不安を煽ることのないよう、公開する情報の内容と表現ぶりには細心の注意が払われたことと思う。しかし、その慎重な姿勢が災いし、逆に隠蔽ではないかとの憶測を呼ぶこととなってしまった。「不都合な真実」が隠されている。そう確信した人々は、隠されているはずの「真実」をTwitterなどのソーシャルメディアやブログに求め、デマを含む膨大な情報を交換し合い、拡散し合ったのだった。

不安を呼ばないようにとの配慮が、不安と不信につながってしまうという逆説。背景には、「企業も役所も嘘をつく」という生活者の根強い不信感があるのだろう。90年代以降相次いだ不祥事やインターネットの普及がそのような不信感の形成に寄与したのは間違いない。内部告発も含め、ネット上に溢れる「裏の情報」は、既存のメディアに流通する表のイメージ(=幻想)の嘘を暴く。いわば「失望のメディア」であるインターネットに慣れ親しんだ人々にとって、「綺麗事には裏がある」というのはもはや常識なのである。

こうなると、むしろ先手を打って、正負両面を明かしていったほうがいい。「不都合な真実」も含め正直に開示し、対話を通じて解決を図る姿勢こそが信頼を勝ち取るのである。このようなコミュニケーションのあり方は、近年、欧米ではtransparency(透明性)と呼ばれ、企業が社会の信任を得る上で不可欠な条件と認識されるようになっている。

ソーシャルメディアが普及した社会で起きた大災害という意味で「ソーシャライズド・カタストロフ」と呼べる今回の震災は、情報流通の主役が既に生活者に移りつつある事実をまざまざと見せつけた。生活者の発言権が増せば増すほど、企業や政府には透明性が求められるようになる。多くの組織がこれから直面するであろう課題を今回の震災はあぶりだしたのである。


※執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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