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コラム「研究員のココロ」

成果主義人事  (4)
~その「本質的な意味」を探る旅~

2004年10月04日 三宅光頼


(9)陽の当たる場所と当たらない場所
 成果主義を信奉する経営者と真の実力者は、簡単・単純・短期に人を排除したり、遺棄したりしない。
 仕事と組織には必ず、陽の当たるところと陽のあたらないところがあり、陽のあたらないところの仕事も、「必ず誰かがやっていること」を知っている。そして、仕事には単純に成果が測れない仕事があることも知っている。そういう現場があることを経営者と実力者は知っている。
 成果主義人事では、こうした陽の当たらない場所であっても、チャンスという機会を「平等」に与えることができる。ありとあらゆるポジション、階層、職位が「適時・適材・適所・適価」で処遇されるよう、広く公募されることが多い。あらかじめ「陽の当たらないポジション」として公言し、それに応じた処遇を示し、納得の上で処遇した。
 逆に年功主義はいままでこういうポジションを「懲罰や左遷用」に用いてきた。雇用を維持するという前提だけで、年功主義は精神的にも品性も醜悪な「処遇としての環境」を準備してきた。そしてそのことを誰もが知っていて誰も公言しない。
注意を要するのは、成果が測れない場所があったとしても決して成果を「測らないわけ」ではない。何年かかっても必ず成果を代弁する変数を探し出す。
 成果らしさを示すイメージ(代位変数・ダミー数値・説明変数)を探りだし、そのイメージ(代位変数・説明変数)のとおり処遇を実現する。 そのイメージ(代位変数・説明変数)に対する「反証」が無い限り実行される。それが陽のあたらない場所にいる人たちへの「配慮と敬意」である。
(10)終身雇用は経営側の恩賞理念であって、労働側の請求理念ではない
 努力に対する褒賞は経営者サイドの概念であり、労働者の概念ではない。労働者は努力するのが当たり前であるからである。当然のことを実施して褒賞を与えてはならない。
 まずなによりも努力することは最低限の入門資格であり、成果を出すこと自体が「存在意義」なのである。努力すらしないものは入門資格すらない。これが年功主義人事の出発点である。
 ロイヤリティや努力に対価を求めないこと。それは最低限の組織に依存するものの入門資格である。成果が出ないものは年功序列の世界でも排除される。
 「終身雇用」は、最後まで生き残ったものに与える経営側の褒賞概念であり、従業員側の努力と貢献に対する請求概念ではない。
 アベグレンの最大の判断ミスは「日本の終身雇用」を「長期の貸借関係」と見誤ったことにある。(注1
 その点でも彼の洞察は、日本の歴史的背景の一部見落としがあった。 
 そもそも、日本は、「超」が付くほどの「過剰労働人口」の社会であり、貢献しなければ雇用すら危うかったのである。成果が出なければいつでも解雇されたのが年功主義である。
 年功主義は生き残った者たちに対する勝者としての賛美歌であり、これまでに脱落してきた者たちに対する鎮魂歌であった。
 「終身雇用」は経営サイドの家父長的恩恵概念であり、最後の最後まで生き残ったものに対する功労褒賞であり慰労なのである。 退職金の退職慰労金という名称がそれを物語る。
 アベグレンのいう日本的経営は形態(形式・表層)的であるために真意が伝わっていない。
 日本的というのは「制度の独自性」をいうのではなく「心の在り様」をいうのであって、経営者と従業員の相互の「覚悟」を意味している。
 経営者は「どんな環境であっても雇用を守り抜いてみせる」という覚悟をもって経営する。
 一方で従業員は「いつ辞めることになるかわからないが、最後まで貢献し続けて自分自身の存在を会社側に認めさせてやる」という相互の「覚悟」である。長期貸借関係という「モラルハザード」を前提としてはありえない。
 経営者が「終身雇用をエサに従業員に忠誠を要求」し、従業員が「過去の貢献の対価を求めて長期雇用」を要求する姿は滑稽を通りこして醜悪ですらある。相互になんら保証できないことを「口先だけで」公言することになるからである。年功序列を取る企業は、これまで年功を保証できなかった。環境に対して誰も保証できないはずなのに、その点の議論を避けてきた。
 経営者は、多くの管理職の「安定志向とモラルハザード」を嫌悪し警戒している。
 失敗を非難しない。挑戦しないことを批判する。
 成果が出ないことを攻撃しない。ビジョンを示さないことを攻撃する。
 評価の不明確を攻撃しない。説明しないこと、フィードバックのないことを攻撃する。
 成果主義人事の中で、従業員も経営者も求めているのは「安心」であって安定ではない。安定は自分の力で獲得し努力するものである。不安定は環境の本質であって、経営の本質ではない。
 環境が不安定だからといって経営が不信であってはならない。

(注1)
参考: アベグレン 『日本の経営』 邦訳 占部都美 、ダイヤモンド社 1958年。アベグレン編『日本の経営の探求』登用経済新報社 1970年。 アベグレン『日本の経営から何を学ぶか』邦訳占部都美 ダイヤモンド社 1974年。アベグレン『カイシャ』邦訳植山周一郎 講談社、1985年 アベグレン 『日本の企業社会』邦訳井尻昭夫 晃洋書房 1989年。

※コラムは執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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