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コラム「研究員のココロ」

成果主義人事  (3)
~その「本質的な意味」を探る旅~

2004年09月27日 三宅光頼


(7)ビジネスタイプと経営環境が時間軸を決定する
 成果主義にたいする誤解で一番多いのは、「成果を急ぐ短期指向型になり、長期的な事業開発や人材育成はできない」というものである。(注1
 現実はどうか。
 貢献と報酬の決済時間や精算期間を決定するのは、制度ではなくビジネスのタイプである。
 目標や成果を管理するのは「我々」であるが、目標を決定し成果を承認するのは「顧客」であり「競合」である。
 一方で、年功主義は常に「コストパフォーマンスを最優先」させてきただけで、初任給が社内で一番安い賃金体系を作った結果、「積上げ型」が最適だと経験則から判断し、それを実行してきただけである。そこには賃金思想や賃金決定基準がない。昇給施策と改訂思想だけになりやすい。
 もっともらしい生計費理論ですら、結果としてもらった給与からの「後付け理論」である。
 年功主義の制度としての最大のメリットは、どんな環境でもどんなビジネスタイプでも対応できる点であり、年功主義が最も高いコストパフォーマンスだけを重視してきたからに他ならない。
 ビジネスタイプに依存しないから、当然「仕事」の性質や「専門性」もあまり考慮しない。
 結果として専門性が「身についた」のであり、努力すれば「誰でもいい仕事」に就けるようになれるのが年功主義のモチベーションの源泉なのである。
 時間、人材など、資本・情報・技術といった経営資源を管理するのは経営者であり管理者であるが、戦略・サービスの品質・価格といった戦略と時間軸を決定するのは経営者ではなく、顧客であり競合であるという点を、明確に認識する必要がある。
(8)成果主義は、公平性を追求するがゆえに不平等を作り出す
 成果主義は、人事管理的な考え方でいうと、公平性を拡大し、「一律平等(=不公平)」を排除する仕組みである。不平等を作り出すことが成果主義の「平等性」である。能力主義では「異質異能主義」といい、違うものは違うように取り扱うことを意味する。
 その概念をとらえるとき、現代の資本主義(いまや共産主義の一部においても)に内在する構造的暴力の背景を否定することはできない。それは生物の世界で、弱肉強食を否定するようなものである。(注2
 どんな形であれ、人事管理自体が戦略の具体的運用に即したものであり、緻密に生産性を高め、競争力を高めることを意図しているものに他ならない。手段が目的とならないことが必要である。
 成果主義人事の中では、過度に結果だけの平等を望むものは放置される。
 過度に平等を望むもの同士には三種類ある。
 第一は本当に実力がないもの。すなわち人事管理以外の別の方法で配慮され配置される必要のあるもの。
 第二は一見実力があるようにふるまう「偽ブランドとブランドの傷もの」である。
 第三はそもそも評価されることを嫌うもの。
 本当に実力がないものに対しては、成果主義人事は自分の可能性と時間を無駄につぶさなくてすむチャンスとなる。 悲しいが次の可能性をさぐるきっかけとなる。
 このうち、「偽ブランドとブランドの傷もの」になりがちなのは、実力を持ちながら、出し惜しみするもの、真剣に課題と取り組まず「棚ぼた」を決め込むもの、そして、弱者を踏みつけて這い上がろうとするものである。この課題は、上記ほど容易ではない。
 なぜなら、この分類には、「誰でもいつでも」組み入れられる可能性があるからである。
 実力があるのに実力を発揮する方法を知らないもの。実力を発揮したが結果に結びつかなかったもの。これまで何度か棚ぼたでいい思いを得たために、成長のチャンスを自ら失い、結果としていつまでも二流のままでいるものである。年功序列型はこれが意外と多い。
 むしろ不幸なのは第三の「評価されることも評価することも嫌いなもの」であろう。
 世の中には貢献度を要求しない社会もたくさんある。競争しないこと。対立しないこと。絶対の教えだけを信奉すること。広く愛すること。ただ見守ること。自分の価値観だけに生きること。
 社会には「そういった価値観」があることを理解しそこで生きることも、全員が輝くための社会的な仕組みとして存在している。そのものはその成果主義人事という価値観を信奉する環境から出るしかない。

(注1)
この誤解は、年功主義の誤解である「長期的な評価と貢献度の長期的評価により、若年時代は報酬が貢献を下回り、壮年時代は相対し、高齢時代は報酬が上回るという取引概念」からきている点は否定できない。貢献目標しか設定できない場合、目標管理はなじまない。成果目標を設定できる人は目標管理に適している。

(注2)
スラヴィ・ジジェク『快楽の移転』邦訳 松浦俊輔、小野木明恵、青土社、1996年 58頁参照。
 「ある根本的な曖昧さが「原因」に付属する。「原因」は「現実」であり、象徴化に抵抗し、その自動機械の流れを乱す」。 成果主義は「たとえ風景であっても」現実である。現実である以上、あるべき理想を「象徴化」してもその現実からは誰も逃れられない。人間の知性だけが、弱肉強食や輪廻の世界から逃れられるとか、慈悲と互助の想念で救済できるというつもりは毛頭無い。

※コラムは執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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