コンサルティングサービス
経営コラム
経済・政策レポート
会社情報

経営コラム

コラム「研究員のココロ」

成果主義人事  (2)
~その「本質的な意味」を探る旅~

2004年09月21日 三宅光頼


(4)成果主義の第一の報酬は成長であり、第二は仕事である
 ビジネスのあらゆるものが金銭で測られる以上、金銭的報酬の多寡はビジネスマンの能力と貢献の証明であり、品質を意味する面があることは否めない。しかし、成果主義人事における報酬は金銭が第一ではない。(注1
 成果主義の報酬は四つある。一番重要な報酬は、「成長(教育)」である。 成長の次に仕事、権限(肩書き)が続く。賃金(給与:労働対価)は報酬というよりも対価といったほうが良いだろう。
 第一の報酬はキャリアの一部となる成長であり教育である。それは単なる職場訓練ではなく、経営経験、事業体験となるものであり成長という報酬である。重要なのは自分のための成長だけでなく、次世代の成長こそ報酬であり、組織のナレッジこそ報酬となるということである。これが「付加価値」である。次世代組織への個人の遺伝子であり、メッセージとなるのが成長という名の報酬である。
 その生成は成果報酬(ペイ・フォー・パフォーマンス)であり、責任報酬(ペイ・フォー・ポジション)であり、そして未来への成長報酬(ペイ・フォー・チャレンジ/ペイ・アット・リスク)である。
 第二の報酬である「仕事」の第一義的な内容は「品質」であり、キャリアの機会としての報酬である。
 第三の報酬は、「仕事を進めるための権限」であり、その第一義的な内容は「信頼」である。実際には肩書きや職位として与えられる。「信頼できない人」に権限は渡せない。
 第四の報酬が給与である。企業システムの中では、給与は労働の対価であり、付加価値の帰属である。誤解のないように繰り返すが、年功主義では給与で損得をすることがあっても、成果主義は対価であり、給与システムは企業の中のニュートラルな清算構造となる。超短期にはありえても中長期的にはありえない等価交換システム構造なのである。これが基本であり、原則である。
(5)成果主義人事は、まさしく成果主義であるがゆえに、成果主義から攻撃されている
 成果主義人事に対する批判を真摯に受け止めて、年功序列を克服できた企業は、今、冷静に成果主義の修正に入った。
 成果主義人事は過去の歴史からみれば、「近代化」や「産業革命」に似て、必ず、不平等と貧富の差を生じさせている。(注2)  
 成果主義人事を論じるとき、P.F.ドラッカー(1939)の著名な論文『経済至上主義は人を幸せにするか』を思いださずにはいられない。(注3)   
 ドラッカーは、マルクス主義と資本主義を比較し、そのどちらも「偽りの神」であり、自由と平等を「自動的」にもたらすという目論見が誤りであり、「制度」として失敗したことを論破した。その上で、「得られぬ自由と平等の追求こそが原動力」であり「資本主義の中で資本主義に攻撃されている西洋社会」を「健全な社会」とし、「新たな秩序」の創生を促している。それは、どちらの制度への回帰でもないのである。
 成果主義人事も同じであろう。成果主義に攻撃されている成果主義は健全なのである。新たな成果主義の秩序の創生が求められる。
 その前提は「活力の醸成と公平さの実現」であり、この原動力こそ成果主義人事の求めているものであるといってよい。その「成果」を提供する人と環境と思想と知識と技術に対して敬意を払い、畏れ敬い、時間と努力と忍耐を惜しまない「ひたむきな生き方」を模索しているのである。その「ひたむきさ」こそ「成果主義人事」の目指すところである。
(6)成果主義の対立概念は「既得権と不利益変更」である
 これまで、年功序列が成果主義の対立概念として取り上げられていた。
 実際は、成果主義は年功を吸収し、成果にうまく反映している。
 年功も経験と習熟に立脚している以上、成果を否定できない。成果主義は年功主義と対立しない(ただし、「序列」主義は成果主義と対立する)。
 むしろ、成果主義の概念と対立しているのは、「既得権保護」や「不利益変更の法理」といった未来に向かって考える思想ではなく、過去にしがみ付いて生きていく考え方である。
 既得権は成果主義と真っ向から対立する。
 既得権は一人ひとりの未来の貢献を約束しない。むしろ未来の安住(という虚妄)と引き換えに怠惰(努力しなくても成果をもらえることからくるモラルハザード)を引き起こしやすい。
 不利益変更の法理は、通常、今までの雇用契約の変更を意味するため、この法理論を盾に既存の年功的な人事制度を守ろうとするものたちによって強力に支持されている。なによりも、雇用条件は「戦って」獲得したからである。(注4)今日では、労働環境を戦って獲得するほど経営者は牧歌的では生きていけない。
 その結果、能力のある努力家や若手のチャンスをつぶしてしまうことが多い。
 不利益変更の法理は、年功の長期貸借関係と誤解されやすい。年功序列は定年までの約40年間で長期的に成果をだすものと誤解されている。
 逆に、成果主義は、報酬と貢献のバーター取引であるため、短時間で成果を出さなければならないと誤解させられる。つまり、成果主義は短期的でなければならないと誤解するのである。
 成果をあげ続けていれば成果主義であろうと年功主義であとうと、(本質は全く異なるが)結果はあまり変わらない。いかに年功主義であっても一度も成果を出さないもの、常に平均以下の成果のものは昇進昇格することはない。年功主義は普通のレベルの人まで上位職に昇格昇進させてしまうために有能者と勘違いさせてしまう。そして何よりも成果を出さなくても降格しない企業が多いため、組織の中で有能ゆえに生き残ったと勘違いさせてしまうのである。

(注1)
この点は専門家でも勘違いしている。日本型人事の報酬は「仕事」で、成果主義は「金銭」だと豪語する学者もいる。こうした誤解は単純に不正解なのではなく危険ですらあり、悪意ですらある。

(注2)
ウィリアムソン、ジェフェリー G., 『不平等、貧困と歴史』 邦訳 安場 安吉、水原正亨、ミネルヴァ書房 2003年。

(注3)
P.F.ドラッカー『イノベーターの条件』 ダイヤモンド社 2000年 13頁 42頁。

(注4)
不利益変更の法理とは、人事と人事制度の決定権を有する経営者が、一方的に期初の労働契約をは破棄し労働者に不利益な条件を負荷することを禁止する法理論である。法理論なので規程はない。唯一、労働者が合意した場合や、経営環境の悪化、変更の受忍限度、合法的手続きなどをクリアするとき条件変更が許される。通常は労働者が条件改訂に応じざるを得ないほど環境が悪化していることが大半である。

※コラムは執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
経営コラム
経営コラム一覧
オピニオン
日本総研ニュースレター
先端技術リサーチ
カテゴリー別

業務別

産業別


YouTube

レポートに関する
お問い合わせ