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特集 企業の社会的責任(CSR) 日本におけるCSRの現状と課題

出典:法律時報  2004年11月号

2 CSRはどのように受け止められているのか


1 CSRという用語の広がり

CSRという用語は、2003年初頭から広く新聞等を通じてわが国にも広がることになった。新聞記事データベースを活用して、主要紙におけるCSRという用語を含む記事の出現回数をみると、2003年第一・四半期には12件に過ぎなかったのが、2004年第二・四半期には239件と急増している状況にある。 2003年7月~10月に経済同友会が、会員所属の229社から得た調査結果によれば、大手企業を中心に全体の31.9%の企業で「CSRに関する担当部署(ないし担当者)の設置」をすでに行っていると回答している(「設置しており、責任者は役員以上である」「設置しているが、責任者は役員以上ではない」に回答した企業の合計)。政府においても、3月から厚生労働省が、「近年、企業の社会全般への影響が大きくなっている中、企業に対し社会的責任(CSR)を求める声が強まっており、厚生労働行政としても、『労働』重視の社会システムを形成していくため、CSRのあり方や、市場を通じた形でCSRを推進するSRIの活用について、『労働』の観点から検討を深める必要性が高まっている」として、政策統括官(労働)のもとに「労働におけるCSRのあり方に関する研究会」を設置し、6月には中間報告書を公表している。経済産業省においても、4月から、「企業の社会的責任(CSR)の基本的な考え方、企業価値の向上に資するCSRへの企業の取組、ISOにおける議論への対応の在り方、今後の促進策などに関して検討を行う」ことを目的に「企業の社会的責任(CSR)に関する懇談会」を設置し、9月にパブリックコメントの結果を踏まえて、中間報告書を公表している。

2 CSRという用語を用いることへの抵抗感とは

しかし、CSRという用語が広がりを見せるとともに、特に企業関係者のなかから、「CSRという用語の意図する概念がわかりにくい」とする意見が多くあがっていることも事実である。第一に「何かしらの新しさを意味しているとは考えられない」という指摘がある。確かに、法令遵守、企業倫理、顧客満足向上、環境対策、人材育成の強化、地域貢献といった取組のいずれもが、従来からの多くの日本企業で重視されてきた。「CSRという何か新しいことのように聞こえるが、具体的な取組にブレークダウンして考えれば、考えるほど、結局はこれまでも企業が意を尽くしてきたこと、そのものに他ならない」という意見である。また、「企業を取り巻く各利害関係者の期待は従前から存在し、これに市場の見通しと経営資源の制約を勘案して優先順位を付け、対応を図っていくこと自体、経営判断そのものであり、企業戦略そのものである。何もCSRなどという用語持ち出す必要はない」とする意見もある。さらに、「これまでもコンプライアンスということに真摯に取り組んできた。これは法令遵守ばかりでなく、社会の倫理観や規範に従うことだと理解してきた。これはステークホルダーの期待に応えること、そのものである。あえて言えば、『コンプライアンス』に『社会貢献』を加えたものがCSRかもしれないが、新しい用語は不要」という声も聞く。第二には、「CSRの定義や、企業への期待の内容が論者によってさまざまで、この語を用いることが全く生産的でない」という指摘がある。確かに、論者によってCSRを理念として論じたり、経営の手段として論じたり百人百様の観はある。「これでは社内においてすらコミュニケーションが成立しない」「どこまでやれば、社会からの期待に応えたことになるのか全く見通しが立たない」という意見がここから出てくることになる。第三には、「全ての鍵となる利害関係者の要求に対してバランス良く意思決定する、という考え方が馴染みにくい」という指摘がある。「本業を通じて社会に貢献していくのが本来の姿ではないか」「利害関係者のなかでも対価を払っていただく顧客の期待が何より優先されるべきではないか」「従業員を社外の利害関係者と同列に位置づけるのは違和感がある」などの意見が個別には多く聞かれる。そして、CSRは海外から移入された用語ではあるものの、「何かしらの新しさを意味しているとは考えられない」という疑義を介して、「CSRは、日本にも従来からあった考え方」という指摘が強く打ち出されてもいる。「江戸時代の近江商人は売り手よし・買い手よし・世間よしという経営理念を大切にし、土木工事や慈善寄付などを通じて、地域社会に貢献した。これにより、社会から信頼を得ることになり、結果として商売の発展に繋げることができた。このような先人の知恵と経験は、250年の歳月を経て受け継がれ、今でも多くの日本企業の活動に反映されている」「企業の社会的責任については、日本でも1970年代に熱心に議論されている。日本経団連も今から30年以上前の1973年の総会決議で、企業の社会的責任を初めてとりあげ、翌74年には「企業の社会性部会」を設置している。76年には『企業と社会の新しい関係の確立を求めて』という提言を公表している」などの意見が代表的である。さらには、「CSRは、日本にも従来からあった考え方」とする指摘は、「欧米流のCSRで日本企業が不当に低く評価されるのではなく、日本企業の優れたCSRを積極的に海外に発信すべき」という指摘に一部、昇華されていく。「社外取締役を導入することが必ずしも最適ではないという判断と同様に、日本企業として受け入れる必要のないCSRの項目もある」「動物実験が全て駄目だとか、ミャンマーでの事業活動がけしからんという声は決して大勢ではない」「日本企業のCSR活動は欧米企業に比べて遜色ない、むしろ環境などへの配慮の面では大変進んでいる。国や地域により、文化や社会的背景、価値観、法制度、官と民の関係などが異なるため、CSRの優劣を直接比較するのは無意味である」というような意見が、ここには続く。

3 何が背景要因の相違としてあるのか


1 欧州における背景要因

「欧州におけるこの数年来のCSRに対する関心の高まり」と「わが国におけるCSRに対する一種の抵抗感の存在」は明らかに性格を異にしているように見受けられる。その理由を、まず欧州の事情から探ってみたい。 2004年1月に開催された「世界経済フォーラム」で発表されたアンケート調査結果はそれを探る手がかりを与えてくれよう。ここでは、世界の政界、学会、産業界のリーダー132人に「将来の世代は、今と比べてより安全に暮らしていると思うか?」と尋ねている。これに対して、「非常に安全」と回答した人はわずか4%、「やや安全」と回答した人も23%に過ぎない。一方、「やや危険」が39%、「非常に危険」が23%となった。人々の生活の最も基礎的要素であるといえる「安全」が、大きく脅かされているという現実が目の前にある。こうしたなかで、「社会」に対する関心が改めて高まっているのが欧州の状況であるといえよう。とりわけ企業活動のグローバリゼーションに伴う負の影響に注視がされている。製品、資本、人材、資材や部品などあらゆるものが国境を超えるようになった。多国籍企業が、世界中で市場を開拓し、生産拠点を作り、資材や部品調達を行うとき、経済的価値だけを過度に優先すれば、環境破壊、労働環境の悪化、雇用の不安定化、地域での所得格差の助長、製品安全性の欠如など負の側面が必ず現れる。「国家よりも存在感を増した企業に、ビジネスの論理プラスアルファを考えて貰わないと、世界がとんでもないことになってしまう」という懸念が欧州のCSRの原点にある。一方で欧米ではNGOの存在感が増している。NGOは政府やマスメディアに代わって、企業を監視し、批判キャンペーンやボイコットなどを通じてその行動を是正させる役割を果たしている。こうしたNGOの存在の増大はCSRの大きな推進要因となっている。米国のパブリックリレーション助言会社の調査によれば、社会を構成する「政府」「マスコミ」「企業」「NGO」について「正しいことを行っているとして信頼できるか」を欧州の有識者450人に尋ねたところ、「政府を信頼できる」と回答した人の割合は、31%でマスコミの28%に次いで低いという結果になった。逆に最も「信頼できる」として評価されたのが、「NGO」でその割合は41%にのぼっている。さまざまな社会問題に対して、監視の目を光らせ、予防策を講じ、解決にむけた行動を実践する主体としての「政府」の地位を「NGO」は取って替わろうとしている。

2 日本における背景要因

いま述べた、グローバリゼーションへの危惧、そしてNGOの存在感の増大という欧州の背景要因は、なかなか日本には当てはまらない。 国内では、「CSRにおいて、どの項目を重視するか」という包括的な世論調査は、まだ行われていないが、2002年度に環境省が行った「社会的責任投資に関する日米英三ヵ国比較調査」に興味深い結果がある。個人投資家を対象に行われたアンケート調査において、「あなたは証券投資をするときに企業の社会的責任を考慮に入れて投資判断を行うべきだとお考えですか」という設問に、「考慮に入れるべきだと思う」「ある程度考慮に入れるべきだ」と答えた人に「考慮に入れるべきだと考える領域」を複数回答も可能として尋ねたところ、「環境問題への対応」(70.4%)、「製品等における顧客の健康・安全性配慮」(68.1%)、「消費者保護への配慮」(60.3%)となった。他方、米国や英国との比較において、日本が10%以上低い回答になった項目には、「労使関係・従業員の権利等への配慮」、「従業員の健康・安全」、「差別・機会均等の配慮」、「児童労働・強制労働の回避」、「コミュニティへの貢献」などが並んだ。これらの結果から推測されることは、わが国におけるCSRの理解とは、企業と消費者との関係において、「消費者に被害や損害が及ばないよう努めること」が第一義にイメージされており、企業と従業員の関係、発展途上国にされており、企業と従業員の関係、発展途上国における企業活動、企業とさまざまなコミュニティとの関係については、関心が相対的に低いということがいえる。同じく2002年に経済同友会が、会員所属企業の代表者ならびにその他の東証一・二部上場企業の代表者2468名に対して行ったアンケート調査(643名が回答)結果も参考になるだろう。「下記の項目は、広い意味で企業の社会的責任(CSR)に含まれる可能性のある項目です。貴社にとってのCSRには、どのような項目が含まれますか(複数回答)」に対する回答として、「より良い商品やサービスを提供すること」(93.1%)、「法令を遵守し、倫理的行動をとること」(81.4%)、「利益を上げ、税金を納めること」(74.9%)という項目が上位を占めている。一方で、「人権を尊重・保護すること」(32.3%)、「フィランソロフィーやメセナ活動を通じて、社会に貢献すること」(21.8%)、「世界各地の貧困や紛争の解決に貢献すること」(3.6%)という項目が下位の3つである。ここでも、途上国でのビヘイビアに関する項目が、総じて低い位置づけとされている。欧州では、多国籍企業のプレゼンスが相対的に大きい。言い換えれば大手企業の事業活動が強く域外の地域と結びついている。また、過去の宗主国と植民地の関係からアフリカやアジアなど途上国との結びつきも強い。依然として大きな権益がある例もあり、人々が途上国の問題に高い関心を有している。また、国内にも多くの途上国からの移民を抱えているという現実もある。こうした背景が、企業活動のグローバリゼーションに伴う負の影響をクローズアップさせていると見ることができる。一方、わが国においては、海外との結びつきが強い企業も存在しているが、国内市場がある程度の規模を有していることもあり、企業関係者の側も、企業を取り巻く利害関係者の側も、まず国内問題に関心を払う。グローバルな視点、とりわけ途上国の問題への関心は薄い。海外からの移民もごくわずかに過ぎないし、世界の他の地域の社会不安が企業活動や人々の暮らしに大きな影響を与えるという感覚に乏しいのである。ここに、「欧州におけるこの数年来のCSRに対する関心の高まり」と「わが国におけるCSRに対する一種の抵抗感の存在」という相違を生み出す第一の理由があると考えられる。次に、日本は、市民社会組織(Civil Society Organization)のプレゼンスが先進国のなかで最も小さい国のひとつであることを2003年にジョンズ・ポプキンズ大学が発表した調査結果は示している。この調査では、市民社会組織において有給もしくはボランティアとして活動を行っている人の数を、経済活動に従事している人の数と比較して、市民社会組織のプレゼンスとして指標化しているが、それによれば最大のプレゼンスを有するのは、オランダであり、これにベルギー、アイルランド、米国、英国が続いて、日本は工業先進国の中で、イタリアに次いで下から2番目である。 NGOの会員数でも、日本で一番大きいとされる日本野鳥の会は約4万8000人である。自然保護運動に最も影響力のある日本自然保護協会は約2万人、世界野生生物基金日本委員会が約1・8万人であるのに対し、米国最大の環境NGOの全米野生生物連盟(NWF)は450万人の会員数を誇る。イギリスのナショナルトラストは会員数300万人を超えており、米国では環境NGOの会員の総数は約1400万人といわれている。グリーンピースの世界全体の会員数は約290万人であるが、グリーンピース・ジャパンでは約5000人に過ぎない。「日本における成熟した市民社会形成の遅れ」は、今に始まったものではないが、今回のCSRをめぐる理解形成のあり方にも大きく影響しているということができよう。「欧州の企業は、なぜそれほどまでに道徳感が強いのか」という疑問の声を日本で耳にすることがあるが、欧州でのヒヤアリング調査を通じて結論づけられるのは、欧州企業は自ら道徳感が強いということではなく、問題意識に長け、専門性とアドボカシー能力を有するさまざまなNGOの監視と期待に晒されており、そうしたプレッシャーへの対応を図らざるをえないとう現実に直面している。CSRの観点から期待を裏切るような行為が発覚すれば、意見広告やボイコットキャンペーンなどの企業批判をすぐに誘発するし、それが消費者、従業員、投資家などの当該企業への支持を失わせる結果に繋がることを、欧州企業はよく理解している。一方、わが国においては、批判勢力としてのNGOの存在感が圧倒的に小さい。企業を批判する意見広告やボイコットキャンペーンなどが注目を集めることも滅多になく、企業の側にも監視と期待のプレッシャーに晒されているという感覚はきわめて希薄である。さらに、鼓膜撃壌の故事にあるように「聡明叡智にして万民の上に抜け出ている人物が、民衆の君となる」ことを道理として、「民衆が満腹になった腹をポンポンと叩き、撃壌遊びに興じている」ことを以て最も理想的な治世のさまとするという社会の秩序構築に関する理想が存在していることも影響していると考えられる。このことは、社会の各構成主体が主張・批判を繰り広げる緊張関係の中で社会秩序を作っていくという考え方への馴染みにくさとなり、「社会の問題に関することはあくまで政府(お上)が手を下せばよい」という考え方を温存させることになる。第六回アジア太平洋経営者会議が2003年12月バングラディッシュのダッカで開催された。会議には、21ヶ国から企業経営者や経済団体の代表者が参加し「グローバリゼーションとCSR」をテーマに2日間の議論が行われたが、ここでの会議の結論として採択された文書の中に次のような一節がある。「しかしながら、CSRをめぐる議論として、許容されえない、望ましからぬ期待が存在することがある。政府がルールや規制を講じることに失敗するからといって、政府の役割を企業に期待するべきではない」。この一説は、上記の「社会の問題に関することはあくまで政府(お上)が手を下せばよい」という(わが国だけではなくアジア地域に共通ともいえる)雰囲気をよく伝えているといえるだろう。ここに、「欧州におけるこの数年来のCSRに対する関心の高まり」と「わが国におけるCSRに対する一種の抵抗感の存在」という相違を生み出す第二の理由があると考えられる。

4 独自の理解形成への危惧


1 本当に「新しいことはない」のか

では、CSRという用語は日本企業にとって本当に「何か新しいことを意味していない」のであろうか。筆者は、必ずしもそうは考えていない。CSRという用語の新しい側面として、次の2点を特に強調しておきたいと考える。第一は、「法令遵守、企業倫理、顧客満足向上、環境対策、人材育成の強化、地域貢献といった取組を統合して、企業競争力を獲得していこう」とする明確な意思がCSRという用語には凝縮されているという点である。上記の取組は、従来から日本企業においても実践されてきたものであるが、各々が点として存在しており、事業を行っていくための不可欠なコストとして認識されてきたということができよう。CSRで論じられているのは、NGO、消費者、従業員などが、企業を積極的に監視したり、公益への配慮を求めるばかりでなく、その結果、企業の取組を評価して、自らの経済行動に反映させようとする傾向が明確になってきている点だ。CSRが購買選択や就業選択の有力な判断材料になってきたということである。こうなってくると、企業にとっても、CSRは企業業績に影響を与えうる重要な要素ということになってくる。また、他社に先駆けて、CSRに取組むことが競争優位を構築できるという考え方が生まれることになる。経済同友会の第15回企業白書は市場が「経済的価値」のみならず「社会的価値」「人間的価値」をも含んだ総合的観点で企業を評価していく状況を「市場の進化」と呼んだが、正にそうした動きを「先取りしよう」とする企業戦略の新規性をCSRという用語は指し示しているのである。これは、一種の非価格競争戦略とも企業ブランド重視戦略ともいえるだろう。したがって、CSRのための支出は、コストではなく、将来の企業成長のための投資と位置づけられる。第二は、「企業を取り巻く利害関係者からの監視や期待に敏感であり、それに的確に対応していくことで、企業競争力を獲得していこう」とする明確な意思がCSRという用語には凝縮されているという点である。現段階では日本企業にとって、企業を批判する意見公告やボイコットキャンペーンなどが注目を集めることも滅多になく、監視と期待のプレッシャーに晒されているという感覚はきわめて希薄であるというのは事実であろう。企業批判が消費者、従業員、投資家などの当該企業への支持を致命的に失わせる結果に繋がるという実感も沸きにくい。しかし、今後、わが国においてもNGOの存在感は確実に大きくなっていこう。さらに、海外の強力なNGOとの連携を図る傾向も強まっていこう。その背景には、わが国においても社会問題が深刻化する一方、政府の失敗は決定的にならざるをえない状況がある。少子高齢化の進展は、財・サービス市場でも労働市場でも、企業の側ではなく、消費者や就業者の側の論理が今まで以上に力をもつ状況を作る。こうなってくると、企業にとっては、いち早く自社に対する監視と期待のプレッシャーを感知し、それに対する対応策を打ちたて、利害関係者に対して取組を説明する能力こそが求められる。そうした能力の重要性をCSRという用語は指し示しているのである。ここでの能力とは日本企業が得意としてきた「お客様第一主義」という考え方とは、かなり性格を異にするものだといえる。

2 世界的なうねりのなかで

「CSRという用語の意図する概念がわかりにくい。馴染みにくい」「わが国独自のコンテクストのなかでCSRという用語を再解釈することが望ましい」という意見は、わが国固有の背景要因からは否定できない面もあるが、それでもCSRという用語を用いることへの心理的な抵抗感が、前節で述べたような世界的規模で注目され始めた経営革新の理解を阻害してしまうことになれば、それは大きな機会損失といわなければならない。ISO(国際標準化機構)の規格化の動きも、「法令遵守、企業倫理、顧客満足向上、環境対策、人材育成の強化、地域貢献といった取組を統合して、企業競争力を獲得していこう」「企業を取り巻く利害関係者からの監視や期待に敏感であり、それに的確に対応していくことで、企業競争力を獲得していこう」という発想に、企業を誘導したいという思惑が本質にある。発展途上国の産業界でさえ、先進国で異なるCSRの国家規格や民間ガイドラインが普及し、途上国が自国の産品輸出の際にそれらの多様な要件に対応することが求められること、中小企業が多く国際信用のない途上国企業は対応できないことに対する強い懸念を表明している。一方、アジアに目を転じると、すでにタイではCSRの認証規格が発行されている。「THAI LABOUR STANDARD TLS.8001-2003」というこの規格は、同国の憲法・労働法、ILOおよび国連条約にも準拠する内容を有しており、民間の自主規格ではなく国家規格として作られたところに最大の特徴がある。タイの政府・産業界も「輸出主導の国にとって、事業を取り巻く環境は変化しており、マーケットは経済的価値のみを追求しているのでは、持続的にはなりえない。倫理的な行動基準の要求に応えること、持続的な発展を遂げるためには経営者がグローバルな行動基準をよく認識した上で行動の実践を行っていくことが必要である」とのきわめてプラグマティックな対応を早期にとっている。また、中国でもこの数ヶ月、CSRに対する関心が急速に高まっており、政府は輸出競争力維持の観点から、こうした取組の実践を広く国内企業に呼びかけ、中国現地企業の中にもSA八000のようなCSRに関するマネジメント規格の認証を取得するところが現れてきているのである。

5 おわりに

非常に乱暴な整理を行えば、いま、株主という存在を極端に重視する米国型の企業経営モデル、多様な利害関係者の期待にバランス良く配慮しようとする欧州型の企業経営モデル、企業と利害関係者という二分法をとらず曖昧模糊とした関係性の中で経営者、もしくは企業の側が主導的に意思決定を行っていく日本型の企業経営モデルの3つがある。失われた十年といわれた1990年代、日本企業は日本型を捨て米国型に近づこうと考えた。しかし、その結果の犠牲も多かったし、最後のところで「馴染めない」という感想に帰結した企業も多かった。そこで、いまCSRという看板を掲げた欧州型の企業経営モデルを吟味してみようという機運が生まれている。しかし、概念を知れば知るほど、市民社会の成熟が遅れたわが国においては、その導入の必然性に欠け、改めて今後のスタンスを逡巡しているのが、いまの日本企業の現状と課題といえるのではないだろうか。ただし、そうした逡巡のあいだに、欧州型の企業経営モデルが世界のスタンダードとなり、発展途上国もプラグマティックにそうしたスタンダードを積極的に受け入れることによって企業や国の競争力を強化しようとする動きが加速することになりはしないだろうか。わが国がひとり、「CSRという用語の意図する概念がわかりにくい、馴染みにくい」「わが国独自のコンテクストのなかでCSRという用語を再解釈することが望ましい」と言っているあいだに、世界から取り残されてしまうことを危惧せずにはいられない。